今朝はかなり冷え込んでいましたが
清々しい気持ちで
毎月恒例のお朔日詣りに行くことができました
今日は初辰まいりの日と重なっていましたので
境内は人で大賑わい!!
初辰まいりとは?
初辰とは、毎月最初の辰の日のことです。
この日に参拝すれば、より一層力を与えて守り助けてもらえると信仰されています。そして4年を一区切りとして、48回参拝すれば、満願成就となります。
これは、四十八辰、つまり始終発達するという意味からきたもので、
4年間月参りを続けられるというのは、それだけ無事発達していることでもあります。
住吉大社の末社である
種貸社、楠珺社、浅沢社、大歳社の四社を
順番にお参りしていくのが慣わしとなっています
もちろん初辰まいりの日でなくても
この末社はお参りできますし
ちゃん様をいただける場所が楠珺社となります
気持ちのよい神社ですので
お近くに行かれた際には一度お参りをされてみては如何でしょうか
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そして今朝も
初辰通信『自然の脅威』を頂きましたのでご紹介させていただきます
「拝啓
霜降の頃、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
秋の長雨とは申しますが、先日の台風二十一号には本当に心配いたしました。
前日には幟の幡をまいて対策をとりましたが、
当日、近畿地方から東海へ上陸する頃には雨も風も激しく、
いつもの台風とは様子の異なる違和感を感じました。
日が変わる深夜には、自宅の方も避難勧告から指示へと拡大し、
止む無く、家族で近くの体育館に避難しました。
雨風は凌げますが、とても寒く、毛布一枚では寝れそうにもなく、
ほどなくして、自宅に戻りました。
近くの川は激流と化し、
大きな岩がゴロゴロと音を立てて流れ、恐怖感が一層募りました。
当日は選挙の投票日でしたが、
自分は家族を守れるのか、
お社は大丈夫か、ご神木に被害はなかったのか、
心配や不安がいっぱいで、選挙どころではありませんでした。
国民の30%の投票率で、
国政が決まってしまうこの国の装置にも耐久疲労が来ているのかもしれません。
でも、昔からこうした自然災害は幾度となく、日本を襲ってきました。
3.11、1.17など、今の私達には忘れることが出来ない日付です。
多くの人々が犠牲になりました。
そのたびごとに被害にあった人たちは悲しみに暮れ、
絶望感に只々、茫然とせざるを得なかったのです。
私は、被害の大きさ、悲しみの深さに、
どういう言葉で紡げば良いのか、
適当な言葉がなく、
敢えて避けて通ってきたように思います。
しかし、日本人は、こうした自然災害にこそ、
神様の脅威を感じてきたのです。
そして、その災害の怖さや恐ろしさに立ち向かうために、
神社を立てたのではないでしょうか。
私は、そんな風に思っています。
ですから、神社は、海の傍ら、山の中、川や谷の、今でこそ、不便なところにも多く鎮座しているのです。
住吉大社なども昔は海の傍らに立てられたのです。しかし、現在、
私達の身の回りにの村々には、神社が多くありますが、
そのほとんどの歴史は、
調査したにも関わらず末詳・不明なのです。
私たちの祖先からの警告が忘れ去られてきているのです。
これは、開発至上主義に走った戦後の日本人が積み残した大きな忘れ物だと思います。
ところで、神様にも、人間のように、
和魂と荒魂の両面があります。
住吉大神は、荒々しい魂を山口県の住吉神社に、
和やかな魂をこの大阪に、
瀬戸内海の東西にお鎮まりになりました。
伊勢大神も奈良県の三輪神社の大神も、
和と荒の魂を祀る神社が昔から存在していました。
神は人なり、
まさに神様にも喜怒哀楽があったことは、
古い日本書紀や古事記を読めば明らかです。
時にやさしく、手を差し伸べてくれますが、
時には憤怒の形相で、
恐ろしさを私たちにお与えになります。
悲しみや苦しみも私たちには必要なのでしょうか。
自然の恐怖は、
「天から与えられた試練である」とは、
頭で分っていても納得できませんし、
その渦中にいる時は、
神様を恨んだり、汚い悪口を吐いてしまいます。
おそらく、神主としては失格なのでしょう。
つくづく身勝手なものです。
ただ、人は、高い峰を目指す時、必ず谷の最も深いところに降りなければならないと言います。
今、その谷の底にいるのかもしれません。
それでも、この世において、自分にしかできない使命があると信じています。
まさに、人間至る処、青山ありなのでしょう
今日の一歩から初めましょう。身体を大切にご慈愛申し上げます。
初辰神主 川畑勝久拝」
自然の脅威・・・
神主様がお話しくださるように
様々な鎮魂の意味合いと神社が受け持つ存在意義とを重ね合わせる事ができます
占いの始まりも
自然の持つ力とどう共存できるのかという事が始まりだとされています
いかに人間は自然の前では無力なのかという事ですが
無力であるが故に大自然からの叡智に
感謝の念を如何なる時も忘れずにしておきたいものですね
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